2008年11月29日

スクープ!?桜ヶ池湖底に古代遺跡?

1969_1.jpg1969_2.jpg と、とんでもないモノを発見してしまいました!

 桜ヶ池の湖底に古代人(ひょっとしたら宇宙人?)が遺したと思われる遺跡があったんです。
 左写真をご覧ください。 エントランス広場近くに池の中心に向かって一本の道があり、途中3つの同心円が刻まれています、まるでナスカの地上絵のように…。
 冬場の桜ヶ池は水位が下がります。 たぶんそれで人目に触れる事になったのだと思われます。

 意を決して現地に降り立ってみました。
 ギリシャのコロセウムのようにすり鉢状に刻まれた石段です(右写真をクリックすると拡大)。
 いったい誰が?いつの間に?何のために?こんなものを作ったのでしょうか?
 地元の方にインタビューしてみましたが「さぁ…」と口を濁すばかり…。
 ますます古代遺跡の可能性が高まってきました。 みなさんも是非ご自身の目でお確かめください。

 きょうはグレー木綿袷に焦茶の半衿、黒の角帯に帆布の袴です。
(注)桜ヶ池は昭和29年に完成した人造湖です。 念のため…。
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2004年03月15日

地名散歩

213_1.jpg 今日はなんと2本立て日記です。
 毎回楽しみにしている「ふるさと歴史講座」(参照;07/01/2002,02/21/2003の日記)を聴講しました。 演題は「地名散歩」。講師は加越能地名の会の前田 廣さんです。
 あっという間に予定時間を終了してしまったくらい「濃い」内容でした。 「マチ」が付く地名は決して市街地ばかりではなく、むしろ田んぼ等を示す(例;小矢部の桜町遺跡)とは知りませんでした。
 お話を聞いていて、ふと思いついたことがひとつ。 城端には北野(きたの)と西明(さいみょう)という地区がありますが、どこに対して北と西なのかハッキリしません。 しかし、昔ツクバネ(都久波禰)山系が修験場であり、細野の熊野神社(元は真言密教立川流)や長楽寺の北野天満宮(元は海乗寺)に修験者が集まっていたことを考えると、この山一体から見て「北」野であったり「西」明であったりしたのではないかと仮説を立てられます。(参照:07/25/2003) そもそも都久波禰神(ツクハネノカミ)は遣唐使の守護神にもあげられたほど古くから著名な神社らしいですし…。
 あれこれ推論すると楽しいですよ〜。 ライフワークになりそうです。
【2002年7月の日記】http://www.craft-ran.com/kiyobe/kiht/200207.html
【2003年2月の日記】http://www.craft-ran.com/kiyobe/kiht/200302.html
【2003年7月の日記】http://www.craft-ran.com/kiyobe/kiht/200307.html



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2003年10月20日

恵比寿講

54_1.jpg 毎年10月20日は西上の恵比須講です。 曳山(竹田山)の御神像は恵比須さまで、年に一度黒い小さな恵比寿像をお祀りします。 以前は当日朝より専用の祠を建てていましたが、恵美須会館ができてからはこちらを使っています。 といっても準備はいろいろあるので、午後から集まって飾りつけをしました。
 写真の赤い提灯は各家に長男が生まれたときに奉納するものです、我が子のものもあります。 夜7時に城端神明宮より神主さんをお迎えして町内総出でお祓いを受けました。 いぜんは子ども対象に相撲大会や餅つきなどがあったのですが、近年途絶えています。
 きょうは定休の月曜日ですが、遠くからお客様がいろいろお見えになったのでその都度店を開けました。 もし月曜にお越しになっても家にいることも多いので、一度呼び鈴を押してみてください。
 木綿のきものに五寸帯の角帯をへたれ結びにしました。 半衿は明るい茶色に素足です。
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2003年08月13日

聖地大谷廟

20030814110203.jpg もうすぐお盆を迎えます。 城端旧町の墓地は町営グランドの傍です。 つきあたりに大谷廟(おおたにびょう)があり、善徳寺十六世住職達亮(1851年四歳で夭折した、加賀藩の嫡男)の墓があります。
 梅鉢紋のついた門をくぐると、そこはもう聖域の感があります。 威圧されるような、一辺が数メートルの立方体の荘厳な墓です。
 お盆に開放されるので、未見の方は是非足を踏み入れてください。 周囲を木々ですっぽりと囲まれた、まさに異空間です。

 今日は白っぽい久留米絣に木綿袴です。
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2003年07月25日

北野天満宮式年大祭

20030725190611.jpg 今日と明日は三十三年に一度の北野天満宮式年大祭です。 後宮に隠されたご神体の御開帳があります。 33年後は生きてないかも知れないので、焦って見に行きました。
 終了間際の午後5時に到着し、300円の拝観券を購入して特設通路を登ります。 狭い通路をくぐったら扉の向こうに高さ60センチ位の金色の立像がありました。 天満宮の名でわかるように御神体は菅原道真公です。 頭が大きいので子どものようにも見えます(写真撮影禁止)。 神主さんにお祓いを受けた後、柏手をうって33年後の再会を願いました。
 宮の横に特設の宝物殿が建てられて、数々ある宝物の一部が陳列されています。
・櫻町天皇内親王ご使用の椀と玩具
・牛の瓊(たま)
・近衛関白家より奉納の硯
・前田大納言(加賀藩主)奉納の硯
             などなど二十余点。
 このお宮さんがいつからあるかは不明ですが、「砺波郡の総社である」との記述もあり、かなり古いことは確かです。 前を流れる川が利波(となみ)川、代々神主を務める利波氏で、砺波という地名の由来とも言われています。 この利波氏は二ツ屋(ふたっちゃ)部落に住んでいたが、北野村吉松(よしまつ)に社殿を建て、その後現在の土地に移転したようです。
 直海山海乗寺の寺号を持つこの宮は、真言密教のお寺でした。 ツクバネ山系に住む山伏などの修験者を束ねていたのではないかと推測されます。
 とにかく謎が多いんです。 そもそも御神体がいつ頃のものなのか、なぜ33年に一度の御開帳なのか?さえわかりません。
 今日は麻のきものに、木綿の薄手の袴です。 神主さん達も袴姿なのでそんなに目立ちませんでした。
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2003年04月18日

「出丸」成立の謎?

20030418161327.jpg 昨年07/25の日記に「出丸に堀跡発見?」と書きました。 国道の拡幅工事が進み、現在道路の西側を掘ってます。 黒っぽい土の部分がお分かりでしょうか?(クリックすると拡大) 堀を埋めた跡かも知れません。 前回見つかった道路東側の堀跡(?)と直線で繋がれば大発見です。

 初夏を思わせるような陽気です。 ついに文人絣(厚手の木綿浴衣)を引っ張り出しました。 下は袴に素足です。 白っぽいきものに薄茶の袴…まさに文人のようです(笑) 残念ながら文才は無いのですが…。


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